ヴェネチア・ヴィエンナーレ

去年の10月に、2年に1度開催されるアートの祭典、”ヴェネチア・ヴィエンナーレ”に行ってきました。
世界中のアートが集まってきて、大きな会場2つと街中を使って展示されるとても大きな祭典です。

約2日をかけて回ったのですが、とにかく会場が広大かつ作品が多様で味わい深く、時間が足りなかったという印象でした。日本の塩田千春さんの「《掌の鍵》 – The Key in the Hand – 」も拝見してきましたが、会場での作品の見せ方、メッセージ性、素晴らしかったです。
一緒に行った友人は、鍵を世界中から集めてきて糸で大きく編み上げた作品を見て、「この根気強さや繊細さは日本人だからこそ出来る芸当だ」と言っていました。

アーティストの問題意識、理想とする世界、切り取られた現代の世界が色々なアートで表現されていました。イタリア中だけでなく世界中からやってきた、ベビーカーに乗る赤ちゃんから、老夫婦まで、老若男女様々な人と空間を共有しながら、作品を鑑賞しました。
その時に感じたのは、「アートは、世界をリフレクション(反映)すること、新しい世界観を提示することで、問いを立てる行為」だということです。そして、アートを鑑賞することは、「多様な世界観を味わい、表現されている問いについて自分と対話する行為」であって、各々が自分の世界観を再考する貴重な時間なんだと思いました。

作品の紹介は他のブログや情報に譲るとして、私がとりわけ印象に残ったことは、2つです!

1. 最後のアート作品

2つある大きな会場が終わると、出口を通る確認をされて、小さな庭へと進みました。そこには5つくらいの作品が展示されていて、数字の順番にしたがって、最後の作品は何だろう、とワクワクしながら回っていきました。そして…最後に待ち受けていたのは、高い壁で囲まれた入り口を通ってたどり着く先にある、庭の中心に立っていた「大きな木」でした。

アート・芸術作品は、自然の創造物には勝てないというメッセージでしょうか。
そこにたどり着くまで、あらゆるアートの表現に圧倒され感動しながら回っていたのですが…
1番印象に残ったのは、最後の作品でした。

夕方の太陽の光にさらされた若々しい緑の葉っぱと、年老いたしわの目立つ幹が美しかったです!

2.アートのみかた

2つ目は、一緒に回ったのがクラスメイトのチベットから来た同世代の女の子でした。
ヴィエンナーレは私がかねてから来たくて、友達を誘って行きました。

誘った側として感想が気になり、どうだったか聴いてみると…

「私は、ひとつひとつのアートの中に、自分の人生を見て、色々な感情が湧いてきた」と語っていました。

私は、「そっか〜こういうことあるよな〜」「このアーティストはこんな風に見ているんだな〜」と、どちらかというと客観的に鑑賞していたのですが、その隣で彼女は自分をアートの中に没入し鑑賞していたことがわかりました。

彼女によると、チベット国内では、一定の年齢になると学業試験があり、優秀な生徒に選ばれた人は、中国の学校に進学し中国政府関係の期間に勤めることになるそうです。彼女はその道から途中ではずれ、中国の民間企業への就職を選びました。
両親はパスポートを持つことが困難で、海外への渡航は難しく、もし彼女が海外で就職することを決めれば、あるいは公で少しでも政治的な発言をしようものなら、2度と会えなくなると言っていました。

私のクラスメイトには、中国人の友人もたくさんいて、もちろん彼女は中国語も堪能で仲良くしていますが、ふとしたはずみで政治の話になれば、少し緊張感が走ります。

彼女は、同世代の女子と同じように、とてもオシャレでチャーミングで(チベット首都の若者の写真も見せてもらいましたが、東京の若者のようにとってもオシャレでした)、一見してどれほどのストーリーを背負っているのか思いが至りません。今回の旅を通じて、大変な決断を背負って勉強しているのだな〜と知りました。

アートは、そんな無数の世界の生き様やシーンを反映する貴重な媒体だと実感した旅になりました。

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