アクター・ネットワーク理論

Domus Academyでは、通常レクチャーにも企業や外部組織の方が講師にやってきますが、
全学生向けの特別レクチャーにも、ゲスト講師がやってきます。

3月にいらしたのが、東京工業大学建築科の塚本由晴先生でした。
 
事前に塚本先生の記事は拝読したことがありました。
東京の建築の景色について、東北や地方の建築の体験、どういった建築がこれから求められるか等を、非常に幅広い知識と深い教養を背景に語られているのが面白く、講義をとても楽しみにしていました。

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塚本先生のお言葉

「“私”がこれを考えた、ではなく、先にコレがあるから、私は考えることが出来たのではないか。
自然・モノを含めた民主主義が必要ではないか。
個人が主体ではなく、関係性が主体のデザインがあるのではないか。
関係性の質がこれから重要になってくるのではないだろうか」

といった趣旨のことを語って下さいました。
私が聴きたかったお話をして下さり、講義中ゾクゾクと興奮が止まりませんでした。
ネット上にも対談されている記事などがたくさんあるので、ぜひご覧下さい。

コモナリティ会議 05:社会デザインの主体はだれなのか──多様なる合意のかたち
http://10plus1.jp/monthly/2014/06/commonality-05.php

講義の後に、「ボローニャという街にリサーチに行きたいんですが…何かアドバイスはないでしょうか?」という非常にざっくばらんとした質問をさせて頂いたところ、ブルーノ・ラトゥールが提唱した、アクター・ネットワーク理論を参照するといいかもしれないというアドバイスを頂きました。

下記が薦めて頂いた書籍一覧です。

科学が作られているとき―人類学的考察 ブルーノ ラトゥール
http://www.amazon.co.jp/dp/4782801211

<原本>
Science in Action: How to Follow Scientists and Engineers through Society Bruno Latour
http://www.amazon.co.jp/dp/0674792912

虚構の「近代」―科学人類学は警告する ブルーノ ラトゥール
http://www.amazon.co.jp/dp/4794807597

<原本>
We Have Never Been Modern Bruno Latour
http://www.amazon.co.jp/dp/B00AQLFQIO

早速購入して拝読したのですが…私の少ない脳みそでは「…ぷしゅーーー」という音が聴こえそうな難しさだったのですが、面白そうなことをおっしゃっていることは分かりました。

  • 自然・モノと人間とを区別することで、悪しきハイブリッドを生んできた(例:ハイブリッドモンスター:原子力発電所)それを隠して、自然と社会を純粋化することで、生産性を向上してきたのが今の社会である。
  • アクター・ネットワーク理論では、人間だけをアクターとして捉える人間中心主義ではなく、モノ自体もナラティブなアクターとみなし、アクター同士が相互に影響し合っているネットワーク(関係性)に着目している。
  • ネットワークが機能するときに、翻訳*というプロセスが重要である。
    (*翻訳=アクターたちが置かれている場面がどんなものかはっきりさせ、その中における各自の役割を明確にすることで、他のアクターに働きかけたり、自ら行為することを可能にする。アクター同士の結びつき、恊働の枠組みが作られるプロセス)

いくつかアクター・ネットワーク理論を元に書かれた論文があるので、そちらをご覧頂ければ理解が進むかと思います!

私が興味のあるデザインに絡めた論文だと、立教大学の小林敦さんの論文が面白かったです。

「共進化するテクノロジー・デザインの可能性 ─ パパネック、ノーマン、ラトゥール、カロンの社会デザイン学 ─」

Click to access 010.pdf

takram design engineering の田川さんが、「機械・テクノロジーが進んでいけば、人間中心主義ではなく、機械中心主義が来るのではないか。例えば、自動運転の車が走れば、その機械が動きやすいような仕組み・制度・インフラが整えられていくだろう」と語っていらっしゃいました。

学校のデザインの歴史を振り返る授業で、映画「2001年宇宙の旅」で道具を使いはじめる猿のシーンを取り上げられました。その際、「人間の意識が変わらない限り、モノによって人は主体になり道具に追従するだけ、時代が移り変わっても変わらないのではないか」という問いかけがありました。

そうであるとしたら、さらに機械化が進んだとしても、これまでと何ら変わらない世界が続くだけという気がします。

私は、自然やモノと、人間の関係性への着目と、道具やモノの存在によって初めて主体になるヒトという観点がありながらも、意思を持つ主体者としてのヒトの意識変化に希望を感じています…!

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